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2018/09/30

郁秋祭2日目【幸せの2日間】

郁秋祭2日目は中学生合唱祭の決勝戦がありました。
私は毎年、審査員長として参加していますが、...
今年の合唱祭は一味違いました。
どのクラスの生徒も本当に素敵な表情で、
心からに楽しそうに歌っていました。
生徒たちの姿に、私は涙を流す程感動しました。

今から36年前の北半球一周旅行。
私は差別と偏見に満ちた世界に絶望していました。
そんなときに入った米ニューヨークのライブハウス。
そこでは、様々な肌の色の人たちが、
素敵な歌に合わせて踊り、
笑い、誰もが幸せそうでした。
そんな光景を見て私は涙が止まりませんでした。
私が「外食をやろう」と決意した瞬間でした。

素敵な歌は聞く人に感動を与え、幸せにします。
「人に感動を与え幸せにした今日を誇りに思ってほしい」
素敵な歌を聞かせてくれた生徒たちに感謝の言葉を伝えました。

各教室で開かれている文化部やゼミ活動の発表にも足を運びました。
各々の発表は、解りやすく伝えようととてもよく工夫されていて、
生徒たちの熱意を感じました。

郁文館が追い求めるものは「人間力」「学力」

そして「グローバル力」。
プレゼンテーション力やコミュニケーション力は、
グローバル時代に必須となるスキルです。
郁秋祭で養われたスキルや経験は、
生徒たちの未来の糧となることでしょう。

生徒たちの大きな成長を目の当たりにし、
私も幸せな気分になれた2日間でした。
保護者の皆様を含め、支えてくださった皆様へ感謝申し上げます。

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2018/09/29

郁秋祭1日目【"ありがとう"が社会を変える】

郁秋祭、毎年恒例の「起業体験プログラム」ですが、
今年は少し様相が違います。...
この4月からスタートした
「起業塾」の生徒たちが社長をしているのです。

ロボット工学を学んでいる生徒は、
自分でプログラミングしたロボットゲームのお店を出店していました。
一回百円。
高得点のお客さまには景品をプレゼントします。
ダウンロード版は500円で販売しています。
社長自らゲームを作成したので、
景品の仕入れを除くと原価はほぼ0円。
利益をたくさん得るためには、
売上を上げるか、原価や経費を下げるかしかありません。
彼は起業塾で学んだことを見事に実践してくれています。
彼の将来の夢は、
高齢者の「働きたい!」を支援すること。
そのために今は高齢者や介護スタッフ用の「パワードスーツ」を研究しています。

視界を奪われた世界で食事する
ブラインドレストランを出店した社長もいました。
視覚障害者の方々をより深く理解する機会を提供しています。
とても素敵な企画です。

起業塾の生徒には「ありがとうの数だけ売上が上がるんだよ」と伝えています。
そして、事業そのものが社会課題を解決するCSV(Creating Shared Value)という考え方や、
SDGs(国連の持続可能な開発目標)といった視点も学ばせています。

パワードスーツもブラインドレストランも、
日本や世界の課題を見据えたものです。

郁文館夢学園を卒業し、
素敵な事業を興した社長が社会を変える。
そんな日が来るのも、そう遠くなさそうです。


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2018/06/05

【「挑戦」と「感謝」】  ~体育祭を終えて~

天候に恵まれた2日間、
郁文館夢学園「体育祭」が、
生徒1500名、来場数2,800名以上を超え、
盛大に開催されました。

いつもの体育祭同様、生徒一人一人が輝く、
感動と涙の体育祭となりました。


体育祭を通じて、生徒達へ伝えたかったことは、

「挑戦」と「感謝」です。


先日、夢の途中で亡くなった登山家 栗城史多くん。

彼は凍傷で指を9本失ってもなお「挑戦」し続け、
常に周囲の方々への「感謝」を忘れずに、
35年の短すぎる生涯を終えました。
彼らしく一生懸命、夢を追い続けた人生でした。


人間には「4つの人生」があります。

一つは、挑戦し一生懸命生きて勝つ人生。
二つは、挑戦し一生懸命生きるが負ける人生。
三つは、挑戦しない人生。
四つは、挑戦もせずに他人の人生を批判して生きる人生。


もちろん勝って欲しい、でも負けたっていい。

「挑戦」し続ける人生であってほしい。

そして「感謝」とともに生きてほしい。

騎馬戦に勝った、棒倒しで旗を取った、
その瞬間はガッツポーズでいい。
その後に、下で支えてくれていた友達を思い出してほしい。
支えがあるからこその勝利だと、
感謝を忘れない人間であってほしい。
そう伝えました。

閉会式で挨拶をするときには、
私は感動で胸が満たされていました。
踊っている子も、走っている子も、ごみを拾っている子も、
一人一人が全力で挑戦し、
まさに主人公として輝いていました。


主人公として、人生を生き抜く為には人はどんな姿勢で生きるべきか。

一人一人が、そのことに気づかされた体育祭であったことを願いたいと思います。


理事長 渡邉 美樹

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2018/01/01

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます

昨年も格別のご厚情を賜り ありがとうございました

例年 学校の年度目標を 漢字1字で表現しています

今年度は「智」としました 

上手くいくように前もって考えた手段 方法 計画

という意味があり 本校の夢教育に当てはめるならば

夢を叶えるプロセスを考えることで得られる力

ということになります

学習によって得られる基礎学力 智力は

夢を追い求める上での推進力 加速力になります

生徒諸君には 今年も 全力で学習に取り組んでもらいます

来年には創立130周年を迎えます

高校生版のMBAである 高校生社長講座~起業塾~ をはじめ

今年度から 記念事業をいくつもスタートさせます

どうぞ ご期待下さい

本年も一層のご指導とご鞭撻を御願い致します

郁文館夢学園 理事長 渡邉 美樹


■今年度の一文字
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■毎年の入学式の中で書道部が席上揮毫により披露しています

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2017/09/08

郁文館と寄宿舎

郁文館が創立された明治時代は、青少年の上京遊学が盛んだった時期で、地方から数多の秀才が、青雲の志をもって都下に遊学を試みました。郁文館を含む東京の旧制私立中学は、それぞれの建学理念に基づき行った人格教育のみならず、高等諸学校、その後の帝国大学へと繋がる予備校的存在としての機能をも期待されており、明治20年代には、上京遊学者のためのガイドブックが出版されるほどそのニーズが高まっていました。

実際に、郁文館の明治期の卒業生名簿に記された出身地・府県名を見ると、北海道から沖縄まで非常に多様で、現在の47都道府県全てから入学者がいます。

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試みに、第1回から第10回(明治25~34年)までの卒業生596名のうち、名簿に出身府県が記載された548名を調べてみると、地方別では、北海道・東北47名/関東200名/中部132名/近畿35名/中国・四国47名/九州87名、府県名で上位からあげると、東京121名は当然のこととして、以下、新潟37名、千葉27名、熊本23名、愛知22名、茨城19名、佐賀18名、静岡・山口17名、北海道・福岡・岐阜16名となり、日本全国からまさに「笈を負う」て上京、入学していたことがわかります。


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東京にはこうした上京遊学者のための下宿屋が多く、郁文館には、学校として正式に運営する寄宿舎はありませんでしたが、創立間もない頃から校長・棚橋一郎は私邸に家塾を設け、十数名の生徒を容して監督訓育していました。この家塾は待鳳舎(たいほうしゃ)と名付けられ、ここから多くの優れた人材が巣立って行きました。

kou1709083.jpg『学園百年史』より



また、教職員が学校付近の下宿屋を利用して、生徒を収容し寄宿舎を営むこともあったようで、たとえば漢文教師で書記も務めた三村陳政が舎監を務めた寄宿舎が、元の一高から弥生町に出る角(現東大農学部の区域)にあり、12~13名の生徒を収容し、後の大審院長・泉二新熊(鹿児島県奄美出身)、司法大臣・宮城長五郎(埼玉県出身)などもここに起臥しました。


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そうした寄宿舎のうち最も有名なのが、名前だけ立派な安下宿として「『吾輩は猫である』に「群鶴館」という名で登場する、蓬萊館です。

鏡子夫人の記憶による漱石邸の見取り図で、最上部(東側)に"下宿屋"と記されているのが蓬萊館で、そのみすぼらしい下宿屋が「群鶴館」という美しい名前と知り、小説の中で猫がつぶやきます。

「・・・名前に税はかからんから御互にえらそうな奴を勝手次第に付ける事として・・・」


kou1709084.jpg夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思い出』(文春文庫)より



実際に蓬萊館に下宿していた卒業生・安田尚義(明治37年卒、宮崎県出身の歌人・歴史学者)の自伝によれば、

「・・・かくして明治三十六年四月からここの五年生となった。(中略)私はこの時代の一カ年中学の近くの下宿「蓬萊館」にいた。その北隣りが夏目漱石邸で、私の部屋は二階北側にあったから、平屋の南縁に日向ぼっこをしているネコがよく見えた。そのころ漱石は「吾輩は猫である」を執筆中であったからそのモデルネコである。右の名著を取って「八」のはじめを見ると蓬萊館を「群鶴館」と名付け『名前だけは立派な安下宿』と言っている。それもそのはず、四畳半一間で下宿料七円五十銭だった。国元から学費十五円送ってもらってその半額を払っていたわけである。・・・」(『虔々集』)

当時の月謝が二円ほどであったことを考えると、学校の至近にあるという地理的メリットを考えても、四畳半一間で七円五十銭はかなり高く、仕送りの半分が下宿代で消えるのは地方遊学者にとってさぞ辛いことだったでしょう。

集団生活の中で、互いに切磋琢磨しながら、一途に勉学に励んだことと思いますが、血気盛んな中学生が寝食を共にしている訳ですので、時にバンカラな連帯意識が発揮され、旧制高校のストームとまではいかないまでも、周囲から見れば十分「バカ騒ぎ」に値するような振る舞いがあったことは想像に難くありません。

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漱石が門下の鈴木三重吉に宛てた明治39年元日の書簡(前日、明治38年大晦日の文面)に、「ホトヽギスを見ましたか。裏の学校から抗議でもくればまた材料が出来て面白いと思っている。この学校の寄宿舎がそばにあってその生徒が夜に入ると四隣の迷惑になるように騒動する。今夜も盛にやっている。この次はこれでも生捕ってやりましょう・・・」(三好行雄編 『漱石書簡集』(岩波文庫版))とあり、下宿生活をする本校生徒が、夜、大騒ぎしている様子が伺えます。

"生捕ってやりましょう"というのは、野球のボール(ダムダム弾)を取りに来た生徒と丁々発止にやりとりしたのと同様、"作品中に登場させる"というような意味だと思いますが、いずれにせよ、漱石先生には、様々な面でご迷惑をかけていたことがわかります。

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現在、郁文館には寄宿舎、学生寮はありませんが、明治の頃のように日本全国から志願者が集まり、入学者を収容する施設を持つ、そんな学校にしたいとの想いもあります。もちろん、その場合、夢教育の根幹ともいうべき人格教育、人間性向上の指導を最優先させ、間違ってもご近所にご迷惑をかけるようなことがないよう、生活指導を徹底させなければなりません。

・・・それが漱石先生へのせめてもの"魂鎮め"となるかもしれません。

校長 宮﨑 宏

2017/08/01

理事長インタビュー 「高校生社長講座~起業塾~」 

受験ポータルサイト 高校受験スタディ 取材記事より転載」


■高校生の起業家を輩出!「郁文館 高校生社長講座~起業塾~」を開講

2018年4月から、高校生版MBA「高校生社長講座」を開講する郁文館高等学校。日本初の高等学校における起業家育成プログラムとは?

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日本は、欧米諸国に比べて、起業家教育が遅れていると言われ、開業率も低い水準にあります。郁文館高等学校では、こうした現状を打開し、日本経済再生につながる起業家を育成しようと、2018年4月に「高校生社長講座(通称・起業塾)」を開講。生徒たちは、高校3年次での実際の起業を目指します。高等学校で起業教育に取り組む思いや、意義を渡邉美樹理事長に伺いました。


≫高等学校では日本初の起業家教育

来年4月から、高校生の起業家輩出を目的とした「高校生社長講座~起業塾~」を開講する郁文館高等学校。実践的なプログラムを多く取り入れた内容で、生徒たちは在学中に会社を設立し、経営を行います。高等学校では、日本初となる本格的な起業教育。取り組みに至るまでの経緯について、渡邉美樹理事長はこう語ります。
「14年前に理事長に就任した時から、経営者を育てたいという思いはありました。しかし、その当時、生徒たちに夢を聞くと、社長になりたいと言うのは、全校でも数名いるぐらい。そこで、経営の面白さを知ってもらおうと始めたのが、文化祭で模擬店を出店、運営をする『起業体験プログラム』です。ここでは、事業計画から資金調達、決算報告まで、一連の起業プロセスを体験します。
こうした活動を続けているうちに、今度は、生徒の方から『文化祭のように守られた場所ではなく、外に出て本当のビジネスを体験したい』という声が出てくるようになりました。実際、空き店舗を数日借りて商売をした生徒もいて、私も事前に相談にのったりしましたね。本校の掲げる夢教育が浸透し、社長になりたいという生徒も徐々に増え、経営者を育成する気運が高まってきた。起業塾を開校するなら、このタイミングだと確信しました」

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▶渡邉美樹理事長

▶文化祭での起業体験プログラム


≫起業への関心を高めるために起業塾開設へ

また渡邉理事長は、日本の起業の現状に危惧を抱いていることも「起業塾」を立ち上げる大きな理由だと話します。
「日本は欧米各国と比べて開業率※がとても低い。たとえば近年のイギリスの開業率は約14%と高く、アメリカも10%前後を推移していますが、日本は常に5%前後です。国も10%を目指して、いろいろ策を打っていますが、伸びていきませんね。開業率の低さは、国の活力の低下につながります。なぜなら、納税と雇用を生み出しているのは、企業だからです。これからの日本は、人口減少、少子高齢化が進み、それに伴ってGDP(労働人口×1人当たりの生産性)も減少していきます。こうした状況下で経済を盛り上げるには、新しい企業を増やしていく、つまり起業家を増やすことが重要なのです」
しかし、なぜ日本は開業率が向上しないのでしょうか。
「起業に踏み出せない理由として、知識・ノウハウがない、不安である、資金調達の目途がつかないことがあげられます。しかし、それ以前に日本人は、起業への関心が高くありません。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本の5か国で、起業に関するデータをとったところ、①周囲に起業家がいる、②起業に成功すれば社会的地位が得られる、③起業することが望ましい、④起業するために必要な知識、能力、経験がある、⑤周囲に起業に有利な機会がある、この5項目すべてにおいて、日本は最下位でした。この結果が、起業意欲や関心の低さにリンクしており、反対に5項目を満たしていけば、日本も欧米並みに開業率が上がると考えています」

※開業率...ある期間において、開業した企業数の期間当初の企業数に対する割合

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≫本物の知識を教え、実践を多用したプログラム

そして、同校は来年度からいよいよ「高校生社長講座~起業塾~」をスタートします。予定では60名程の希望者を募り、3年間かけて様々な実践的カリキュラムを受講していくプログラムとなっています。1講座は120分ほどで、卒業単位としての認定も行います。


高校生版MBA「高校生社長講座〜起業塾〜」カリキュラム(案)




起業塾は、起業経験者である渡邉理事長が、専属メンターとして指導し、それ以外にも渡邉理事長の人脈から、著名な起業家や経営者、またベンチャーキャピタリストなどを講師として招聘する予定です。
「起業家だからこそ語ることができる、本物の知識や、起業のすばらしさがある。また、自分の経験上、あらかじめこのような知識があれば、遠回りをしなくて済んだというケースが数多くあります。それを生徒たちに直接教えたいですね」。渡邉理事長は、自ら指導にあたる意義をそう語ります。

また同講座は、社会人向けMBA講座同様に、ワークショップやグループディスカッションを多く取り入れることも特徴的です。「生徒たちには、株式のゲームなどもさせたいと考えています。仮想100万円で、株式投資をさせて、株価の変動をチェックする。自分が買った株が、なぜ上がったのか、下がったのか、株主総会での決算が自分の予想とあっていたかなど、OJTを繰り返していきます」
さらに、渡邉理事長が代表理事を務める公益財団法人「みんなの夢をかなえる会」における「ソーシャルマネジメントカレッジ」のノウハウが活用でき、会社を設立する時は、一般財団法人「ソーシャルビジネス・ドリームパートナーズ」から出資を受けることもできます。「起業塾は、先ほど示した起業に必要とされる5つの項目のうち、4つを3年間で取り組み、成果を出していきます」



①周囲に起業家がいる
 ⇒起業家に触れる機会を多くする。
 ⇒起業家が社会にいかに良い影響をもたらすかを知る。
③起業することが望ましいと思う
 ⇒起業のすばらしさを学ぶ。
 ⇒起業が多くの人の仕事、人生に資することを知る。
④起業するために必要な知識、能力、経験がある
 ⇒本物の知識、ノウハウを学び、実体験をする。
 ⇒アイデアを現実のものとする意欲を掻き立てる。
⑤周囲に起業に有利な機会があると思う
 ⇒機会に気づく力をつける。
 ⇒ビジネスモデルの作り方や資金調達を学ぶ。
 ⇒出資を受けることができる。


≫起業することの社会的意義を伝えたい

起業教育に関しては、アメリカはもとより、最近は日本の大学でも導入する動きが見られるようになりました。しかし、経営者の講義が少なかったり、知識中心で実践的でないものが多いのが実態のようです。そういう面で、同校の起業家育成プログラムは画期的であり、しかも高等学校で導入するのは、かなり先進的です。
「国語や数学の教育ももちろん大切ですが、お金の教育というのも、とても重要だと考えています。お金があって初めて、人々の生活も日本という国も成り立つのです。今後、郁文館では、お金の仕組みや流れ、国・行政が納税でどう賄われているかなど、お金に関する学びを中学校から取り入れていく予定です」と渡邉理事長。

「私が起業塾で一番伝えたいのは、会社のミッションとビジョンについてです。ビジョンとは、経営者の生き方の表現であり、経営は自分の創造力の賜物なのだということを教えたいですね。そして、起業するということは、真っ白なキャンバスに絵を描くことと同じで、大変ではあるけれど、本当にやりがいのあるダイナミックな仕事であること。そして納税と雇用を生み出し、国を動かす源を作っているのは起業家であり、社会的意義のある職業であることを、伝えていきたいと思っています」


【7/25ニュースリリース】高校生版MBA「高校生社長講座 ~起業塾~」開講!はこちらから

2017/06/02

【未来も輝く君たちと】 ~体育祭を終えて~

5月27日と28日の2日間にかけて、盛大に郁文館の体育祭が開催されました。


閉会式、6人の団長全員が涙のあいさつ。

1,472人全員、

一人一人が主人公として輝き

一人一人の「楽しくて仕方ない」の思いが

伝わってくる感動的な体育祭でした。


最後の総評で、

「明日から本気で勉強しよう」と語りかけました。


彼らが社会人になっても

今日と同じように輝き続ける為に、

今日と同じようにワクワクした毎日を過ごすために、

彼らに、「学力」そして「生きる力」を、

身につけさせなければならない、

そう改めて強く感じた体育祭となりました。

理事長 渡邉 美樹

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2017/04/06

入学式 『智』~夢をかなえるために~

4月2日に郁文館夢学園の入学式を執り行いました。

中学校112名、高校301名、グローバル高校154名、総勢567名の生徒が新たに入学しました。
そして、約1,100名の保護者様にも入学式にご参列いただきました。

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新入生と保護者様には、たくさんのことを伝えさせていただきました。


この学校が"夢"にこだわる理由。

それは、「キミたちが生まれてきたが故に起こる奇跡」を作ってもらいたいからです。
医者になって患者さんの命を救う、
教師になって若者の人生に大きな影響を与える、
素晴らしい発明をして人々の生活を豊かにする・・・。
そんな「キミがいたから起こった奇跡」が生まれることを学校として応援したいのです。


一般的な高校にとってゴールは大学への入学です。

しかし、郁文館夢学園のゴールは違います。
大学・短大・専門学校に入学し、一生懸命勉強して卒業し、
社会人となって基礎的なことを三年間学んだとき、つまり、25歳のときに、
自分自身の大いなる人生を生きるためのスタートラインに立つ"輝く25歳"になっていてほしい。
それが、郁文館夢学園が目指すゴールです。

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毎年、入学生に"一文字漢字"を送っています。

今年の新入生に送ったのは「智」です。
ある辞書によれば"ものごとを理解して是非善悪を分別する心の作用"とあります。
"ものごとがうまくいくように前もって考えた手段、方法、計画"という意味もあります。
つまり、夢をかなえるプロセスを考えることが「智」なのです。
単に暗記するために勉強するわけではありません。
本当の意味での「知識」を身につけて欲しいと思います。

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新入生の皆さん、入学、おめでとう!

保護者の皆様、命より大切なお子様をこの学校にお預けくださり、心より御礼申し上げます。

2017/01/01

新年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます

 

昨年も格別のご厚情を賜り ありがとうございました

 

例年 学校の年度目標を 漢字1字で表現しています

今年度は「礼儀・礼節」の「礼」(旧字体で「禮」)としました

社会秩序や円滑な人間関係を保つために守るべき規範で

現在の日本の社会を特徴付ける 大事な徳目とも言うべきものです

今後の社会のグローバル化を考えたとき

生徒には 逆に日本の良いところとされる美徳をしっかりと身に付けて欲しい

そんな想いの“一文字”でした

 

もう1つの年度目標は“21世紀型学力”を目指しての前進です

朝の時間帯に40分の0時間目を創出し

NIE・PBL・リスニング・社会探究・社会貢献などの実践により

新しい学力を身に付ける取り組みを加速させています

これからのグローバル社会で求められる「生きる力」を育んでいきます

 

本年も一層のご指導とご鞭撻を御願い致します

 

郁文館夢学園 理事長 渡邉 美樹

 

 

■今年度の一文字

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■毎年の入学式の中で書道部が席上揮毫により披露しています

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2016/11/12

校友紹介4

明日1113日は、郁文館の創立記念日です。

明治22(1889)年の創立ですので、今年で127周年ということになります。

 

その長い歴史の中で、優秀なOB(本校では校友といいます)を数多輩出してきました。

 

これまでも、著書を紹介する形式で3人の校友(柳田國男、石原純、大塚初重)にこのブログに登場してもらいましたが、

参照)

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/message/2015/04/03113401.html

/message/2015/10/27105001.html

 

このあとは著書の有無にかかわらず、様々な業績を残している偉大なOBたちを、3人に続く校友紹介という形で、折に触れご紹介していきたいと思います。

 

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校友紹介4は、泉二 新熊[(もとじ しんくま:明治9(1876)~昭和22(1947)]、鹿児島県奄美大島出身の裁判官、官僚、刑法学者です。


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近代日本人の肖像(国立国会図書館)より


泉二は奄美大島龍郷村の中勝(現在の鹿児島県大島郡龍郷町中勝)に生まれ、名瀬市に出て小学枚を卒業、新設の高等小学枚一年級を修業した後、明治23年、15才の時に上京、翌年、郁文館中学に入学しました。

 

叔父宅に下宿しながら勉学に励み、明治27年(1894年)郁文館を卒業、その後、鹿児島高等中学校造士館、熊本の第五高等学校を経て、明治35年に東京帝国大学法科大学(独法科)を卒業後、司法省に入り、司法官として大審院判事、刑事局長、検事総長などを歴任、昭和131938)年には、現在の最高裁判所長官にあたる大審院長となりました。

 

退官後は枢密顧問官も務め、この間、刑法学者として折衷的客観主義の立場から刑事司法の解釈・実務論を展開、その学説は“泉二刑法”と称されました。著書に『日本刑法論』『刑事学研究』『刑法大要』などがあります。

 

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現在の高等学校では、下宿生活を伴って遠隔地から入学するケースは稀ですが、郁文館の明治期の卒業生名簿に記された出身地・府県名を見ると、北海道から沖縄まで、非常に多様であることに驚きます。明治期には多くの地方出身者が上京遊学し、郁文館を含む東京の私立中学(旧制)は、それぞれの建学理念に基づく人格教育のみならず、高等諸学校、その後の帝国大学へと繋がる予備校的存在としての機能をも期待されていました。

 

そうした時代の雰囲気を伝える、学園50周年に際し寄せられた泉二の談話を引用します。

 

「私は十五の年に鹿児島県の奄美大島から上京して、下町にあった東京英語学校や東京数学館あたりで勉強していましたが、後、郁文館の三年に入学させてもらい本格的に勉強し始めました。・・・・その頃は都下に中等学校が少く、殊に下町には数校ありましたが、山ノ手には殆んど学校が無かったのにもよりますが、又立派な先生方が揃って居られたためもあり、我々学生間に於ける郁文館の名声は、大したものでした。・・・・

 

郁文館からの推薦で、卒業後無試験で高等学校造士館の予科一級に入学しました。急に一級に飛び入りしたのですから、三級二級から進んで来た生え抜きの生徒に圧せられるような感じもしましたが、負けてなるものか、推薦して下さった母校に済まないとの感じで一生懸命勉強しました。後、一時造士館が廃止になりまして、又も五高に飛び入りましたが、幸いに首席で卒業させて頂きました。他の高等学校へ進んだ人々も「自分は郁文館の卒業生だ」という誇りを傷つけまいと勉励して、皆立派な社会人になられました。・・・・」

 

上級学校への準備として郁文館で学び始めた学生もいたでしょうが、最終的には、泉二の言のように、“「自分は郁文館の卒業生だ」という誇り”を持ち巣立っていった卒業生も勿論多く、校風も広く支持され、「頑張らなければ母校に済まない」と感じるような愛校心があったようです。

 

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『郁文館学園五十年史』より

 

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出身地である鹿児島県大島郡龍郷町役場のHP(http://www.town.tatsugo.lg.jp/)によれば、龍郷町の名誉町民としても顕彰され、また公民館に特設コーナーが置かれるなど、偉大なる郷土の先人として、今なお地元から深く敬慕されているようです。

 

出身地同様に、母校である郁文館でも、偉大なる校友として、これからも誇りをもって、後輩である生徒たちに語り継いでいきたいと思います。

 

 


校長  宮崎 宏

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